東洋医学的日々雑感25 『論語』について最近考えてみたこと(4)
久しぶりに「『論語』について最近考えてみたこと」シリーズ第4弾をお送りします。
じつは、アクセス数などを検証してみるとこのブログの中でも最も人気のないシリーズなんです(笑)
それでもまだ書いてしまおうと思う自分のことが結構笑えます。
それと、少し間が空いたので目次的なものもピックアップしておきます。
次回の分の目次まで含めてしまいました。
1.『論語』について最近考えたこと
1-1. 『いきるための論語』を読んで…。
・学びて時に…
・共感できたこと
—–以上第1回
・なぜ友が遠方から訪ねて来るのか?
・人が自分のことを分かってくれないからって…?
・学而篇全体の解釈は?
—–以上第2回
1-2. 『論語』ってどんな本?
・講師様のお言葉
・わりと短い…原稿用紙30数枚
1-3. じっくり読むことの大切さ
・古典について考えてみよう
・“速読”ではなく、あえてジックリ“遅読”することの楽しさ
—–以上第3回
2.古典を学ぶことの意味
2-1. 古いものはイイものだ?
・注釈という中国の古典の伝え方
・”伝統医学”ではなく ”伝承医学”?
・歴史が示すエビデンス
—–以上今回(第4回)
2-2. 古典の記述と臨床
・古典を学ばないとわからないこと
・これからすべきことを考える
—–以上第5回(予定)
『論語』を読むことを通じて、古典というものについて考えてみています。
とか書き始めると、
「そんな古い、しかも漢文で書かれたものを読んで、何が楽しいのか?」とか、
「そんな古臭い考え方が、いまの世の中で役に立つはずがないんじゃない?」といった反論が出てきそうですね。
それも一理です。
でもちょっと違う考え方もあるっていうことを知ってみてください。
「古典はいまに活かすために読むことが大切!」というお話です。
中国では古典を読むときにいくつかのルールがあります。
まず大前提として、もともとの本文を無闇にいじらないこと。
紙がなかったくらい古い時代のものが、いまに伝えられている場合もあるわけです。
印刷技術が開発される前なので、基本的に本は借りてきて書き写すんですね。
たぶん「そこまでしてでも欲しいと思う本かどうか」と、当時の人たちは真剣に考えたんだと思います。
だって本を丸ごと書き写すって、相当の気力とか労力が必要ですから。
そう考えると、安易に本を買ったり、読まないでそのまま積んであったりする自分の書斎を見回して、
とても申し訳ないような気分になります。
話を戻しますが、全文を書き写すんですから、間違いがあるのは当然です。
「一」が「二」や「三」になるなんて当たり前のこと。
「互」が「巨」になったり(なんとなく形が似てるでしょ)、字が抜け落ちたりもちょくちょくあります。
竹簡とか木簡(竹や木を短冊状に削ってそこに字を書いて紐で綴じる)を綴じていた紐が切れて、
数行単位で入れ替わってしまうことだってあるんです。
だからもとの本は一緒なのに、結構内容が異なるもの(これを異本といいます)が存在していたりします。
それでも本文はそのままにして、細かい字で注釈を入れるのがルールのようです。
「この字はたぶんこの字の誤りだと思います」とか、
「この部分の文章は、ごっそりあっちから抜け落ちてこっちに移っちゃってるみたいです」みたいな注が入っていたりします。
それぐらい古い文章を大切にしてきたことが伝わってくるわけです。
だから古典を手に取ってジックリ読んでいると、
そんな経緯や関わった多くのひとの想いなども思い起こされたりして、なんだか胸がジーンとしてきます。
古典って、(少なくとも僕にとっては)そんな存在なんです。
僕らが関わっている東洋医学という分野は、
簡単にいうと「古代中国医学」と言い換えることができるものです。
いわゆる伝統医学のことですね。
伝統医学と対になる言葉は現代医学なので、現代でもやっているのだからちょっと変な気もしますけど…。
もちろん、何千年も前と同じ道具で同じように治療しているわけではないのですけど、
病んでいる(あるいはまだ病んでいないけど病みそうな)ひとを診ることの根本に流れている姿勢のようなものは、
ずっと変わらないものなのだと思っています。
あるいは、変わってはいけない部分が骨格として存在するようなものだと思っています。
そのことは次の世代に伝えなければならないんです。
それはいまの時代にその伝統医学に従事している人間の、ある意味で使命のようなものだと考えます。
例えば『素問』の官能篇第七十三には、鍼灸を伝えるべき人の条件を提示し、
そうでなければ伝えてはならない、と書かれています。
2千年以上前に、伝えるべきひとを厳格に選んでいたというわけです。
それって、鍼灸というものをそれだけキチンと捉えていたっていうことですよね。
凄いと思いませんか?
だから伝統医学というより、伝承医学だと思うわけです。
それともう一つ、知っておいていただきたいことがあります。
2千年前に書かれたことがいまでも使われているってことは、
2千年以上のエビデンスがあるってことだっていうこと。
わずか百数十年前にできたものと、どっちが信用できますか?
もちろん、東洋医学と西洋医学(というより現代医学かな)のことなんですけど…。
西洋医学って、自分たちで「科学的だ」っていう割に、いってることがドンドン変わっちゃってませんか?
例えばケガの治療のこととか。
昔は痛みを我慢しながらめちゃくちゃ滲みる消毒液で消毒されて、
しかもなるべく乾かしてカサブタにしろって言われてたのに、
いまじゃ水で汚れを洗い落として(もちろん傷の程度によります)、
なるべく乾かさないのが早くキレイに治すコツだなんで言われていますよね。
しかもまだ、昔の治療の仕方をしている医師もいる。
そういう意味では、ちょっとまだ信用しきれない部分もあるんです。
もちろん伝統医学としての西洋医学の部分もあって、
それはそれでなかなか楽しい部分でもあるんですけど、
日本における西洋医学って歴史的にみるとちょっと変わってるんですね。
明治の初めに、当時の西洋医学の成果の部分だけを輸入してきて、
いままでの医学を全否定して自分の国の医学のメインに据えてしまったわけです。
そのひずみが、いろいろなところに出てきているという気がします。
そう考えると、数千年前に書かれた考えにいまでも頷けて、
それを使って効果がでるって凄いことだと思うんです。
だからこそ僕は、東洋医学を昔々に書かれたそのままの文章で
できる限りキチンと読んでみたいと思っているんですよね。
まだあと1回続く予定です。