人は必ず死ぬものだという大前提

人は必ず死ぬものです。
そして死ぬときは必ずひとりです。
そんな当然のことは、皆さん分かっていますよね。
 
でも、それさえ分かっていれば、どんなふうにでも生きられる気がします。
そのことを疑っているように私には見えるのが、現代医学です。
 
先日、『還暦からの底力』(出口治明)という本を読みました。
確かに人生100年時代になれば、成人してから死ぬまでの折り返し点が60歳になるんですね。
自分自身も還暦を過ぎたので、いろいろと考えるキッカケにはなりました。
 
その中で紹介されている『ゾウの時間、ネズミの時間』の著者である本川達雄氏の言葉がとても印象に残りましたので、紹介しておきます。
生物にとって生殖活動で子孫を残すことが極めて大きな意味を持つと指摘したうえで、次のような提言をしています。
 
以下引用—–
 
老後においても、私は生殖活動に意味をみつけようと思います。
とはいえ、なまなましい生殖活動ができなくなるのが老いというものです。
そこで、直接的な生殖活動ができなくても、次世代のために働くこと
ーーこれを広い意味での生殖活動と考え、これに老後の意味をみつけたいのです。
具体的に言いましょう。
われわれ老人は子育てを支援し、若者が子供を作りたくなる環境を整備する。
身体も脳も日々よく使い、自立した生活をして老化を遅らせ、必要になったらお互いに介護に務め、医療費・介護費を少なくし、そうすることにより、できるだけ次世代の足を引っ張らないようにする。
 
引用終わり—–
 
動物のなかで、年老いた個体の面倒をみるのは人間だけのようです。
そのことの是非を問いたいのではありません。
しかしその行為は、かなり以前から行われていたらしいのです。
 
180万年前の原人で、歯をなくした後も誰かが食べ物をすりつぶして食べされていたとしか考えられない遺骨が、見つかっているといいます。
考えられる理由として、次世代の育成に何らかの役に立っていたのだろう、と著者の出口氏は考察を加えています。
 
 
動物として考えれば、自分の身の回りのことができる、自分で食べ物を調達できることが、最低限の生きるための能力です。
自立できない動物は、自らの命を放棄するしかないと考えていいでしょう。
 
ただもし支え合うとするなら、年齢に関係なく社会を構成している皆が応分の負担をして、困っている人を支えるべきだと思います。
 
実年齢にこだわるのもおかしい、と著者は書いています。
何歳になっても、働く体力や気力がある人は働いたらいいのです。
まったく同感です。
 
逆に働く気力も体力もないのなら、社会に支えてもらえばいいのです。
「せっかく年金がもらえるのだから、早くもらったほうが得だ」と考える人は、早く隠居生活に入って、そのことで健康寿命を短くすればいいでしょう。
 
それこそが自己責任なのではないでしょうか?
その部分の本当の意味での損得を、良く考えてみるべきでしょう。
 
働けば健康寿命が確実に延びます。
日本人の寿命は延びたけれど、残念なことに不健康寿命が長いのだと言われ続けています。
 
寿命が延びて、超高齢社会になった日本で、なるべく健康に生きていくために必要だと現時点で私が考えることは、次の5つです。
 
・仕事ができる間は、それを続ける(つまり動く)ことで健康寿命を延ばす
・その際に、いまの(年齢ではなく)自分の能力をキチンと自己評価する(過去の肩書やプライドは考慮しない)
・食事で健康を害して、必要以上に不健康寿命を伸ばさないように注意する
・なるべく自分が好きなことを(できれば仕事として)見つける
・つまりできる限り自立した生活を送る
 
結局のところ、自分で考えなければ誰も代わりに考えてはくれないんです。
お互い、健康で長生きしましょう!
 
 
 【東洋医学×分子栄養学】の年間基礎セミナーを開講します。
  本当に学びたいと思っている人以外は、応募しないでください!
  一歩ずつしっかりと基礎を固めて、ご自身、患者さんのために活かしたい方のためのセミナーです。
 ・受講日:通年(月1回で全12回)第1日曜日の朝8時〜10時(9月開講)
 ・受講方法はオンラインセミナー(PDF資料あり)
 ・見逃した時は録画受講も可能です
 ※詳細はこちらから募集開始は8/1からになります)
Back to Top ↑