―『黄帝内経』から“代謝の代償と破綻”を考える
東洋医学の世界では、「未病を治す」という言葉をよく耳にします。
私自身もこれまで、ごく当たり前のようにこの言葉を使ってきました。
しかし、ずっと疑問に思っていたことがあります。
私たちは、本当に「未病」を治しているのだろうか?
実際の臨床を考えてみると、患者さんは「腰が痛い」「肩がこる」「眠れない」「疲れが取れない」「胃腸の調子が悪い」など、すでに何らかの症状が現れてから来院することがほとんどです。
症状がすでにでているなら、それは「未病」ではなく、すでに「已病(いびょう)」なのではないでしょうか。
そう考えると、いくつもの疑問が出てきます。
- そもそも未病とは何なのか?
- 未病をどうやって見つけるのか?
- その先に起こる病気をどう予測するのか?
- 未病の段階で何を治せばいいのか?
- そして「治った」ことをどう確認するのか?
この疑問を、分子栄養学の視点から改めて考えてみたいと思います。
「病気になってから治す」のでは遅い
『黄帝内経素問』の「四気調神大論」には、有名な一節があります。
「聖人不治已病治未病、不治已乱治未乱」
「聖人は、すでに病となったものを治すのではなく、まだ病となっていないものを治す」という意味です。
さらに唐代の孫思邈『備急千金要方』には、
「上医医未病之病、中医医欲病之病、下医医已病之病」とあります。
「上医はまだ病になっていない段階を治し、中医は病になろうとしている段階を治し、下医はすでに成立した病を治す」という考え方です。
つまり古代中国では、病気が完成してから治療するのではなく、病に向かう変化を早い段階で捉えて介入することが重要視されていました。
ところが、ここで現代の私たちにはひとつの大きな問題があります。
その「まだ病ではない状態」を、どうやって見つければよいのでしょうか?
「正常値」なら健康なのか?
健康診断で血糖値も正常、肝機能も正常、貧血もない。
それでも、「最近疲れやすい」「食後に眠くなる」「甘いものが欲しくなる」「夜中に目が覚める」「以前より回復が遅い」といった変化を感じている人は少なくありません。
ここで重要なのは、「検査値が正常であること」と「身体に負荷がかかっていないこと」は同じではないということです。
私たちの身体には、恒常性(ホメオスタシス)を維持する仕組みがあります。
血糖が下がりそうになればホルモンを使って上げ、血圧が下がれば循環を調節し、エネルギー需要が増えれば蓄えているエネルギーを動員します。
つまり身体は、負荷がかかってもすぐには壊れません。
さまざまな仕組みを動員して、「正常に見える状態」を保とうとするのです。
これを「代償」という視点から考えてみます。
未病を「代償と破綻」から考えてみる
身体の変化を時間軸で並べると、
健康 → 代謝への負荷 → 適応 → 代償 → 代償の増大 → 機能低下 → 検査値の異常 → 疾患
という流れを考えることができます。
もちろん、『黄帝内経』の「未病」と現代生理学の「代償」は同じ概念ではありません。
しかし、臨床的な対応関係として考えるなら、
未病とは「何も起きていない状態」ではなく、何らかの負荷に対して身体がまだ代償できている状態
と捉えることもできるのではないでしょうか。
ここに、私が分子栄養学を見るうえで最近重要だと考えている「認識の転換」があります。
これまでは、「どの栄養素が不足しているか?」というところから考えることが多くありました。
鉄が足りない、亜鉛が足りない、ビタミンB群が足りない。
そして、「なぜ不足したのか?」と根本原因を探っていく。
もちろん、この考え方は今でも重要です。
しかし、もう一段システム的に身体を見るなら、
「どの栄養素が不足しているか?」
↓
「どの代謝系に負荷があるか?」
↓
「身体は何を使って代償しているか?」
↓
「その代償は、どこから破綻し始めているか?」
と考える必要があるのではないでしょうか。
つまり、栄養素そのものを見るのではなく、身体が正常を維持するために何をしているのかを見るということです。
未病を見つけるとは「異常」ではなく「代償」を見つけること
たとえば血糖値が正常でも、それを維持するために大量のインスリンを必要としているのであれば、すでに代謝には負荷がかかっています。
その状態が続けば、
インスリン分泌増加
↓
インスリン抵抗性の進行
↓
さらなるインスリン分泌
↓
やがて代償できなくなる
↓
血糖値上昇
という方向へ進む可能性があります。
つまり血糖値が異常になってから初めて問題が始まるのではありません。
異常になる前から、身体はすでに頑張っている。
この「頑張り」を読み取ることが、未病を見つけるひとつの方法になるのではないかと思います。
そのためには、単一の検査値を見るのではなく、症状、問診、舌診や脈診などの東洋医学的所見、血液データ、食事、睡眠、運動、ストレスなどを組み合わせて、身体全体の変化を見る必要があります。
未病を治すとは何をすることなのか?
こう考えると、未病への介入も変わってきます。
単純に、不足しているものを補うだけではありません。
まず、「何が身体に負荷をかけているのか?」を考える。
そして、「その負荷によって、どの代謝系が過剰に働いているのか?」を見る。
そのうえで、負荷を減らし、過剰な代償を軽くし、必要な栄養素を補い、本来の代謝機能を取り戻していく。
これが「未病を治す」という考え方につながるのではないでしょうか。
大切なのは、「何を補うか?」の前に、「なぜそれほど消耗しているのか?」を考えることです。
「治った」ことをどう確認するのか?
最後にもう一つ、大切な問題があります。
未病を治療したとして、それが改善したことをどう判断するのでしょうか。
検査値が正常だから治った、とは限りません。
治療前も正常、治療後も正常ということは十分あり得ます。
しかし治療前には、大きな代償を使って正常値を維持していたのに対して、治療後には、それほど頑張らなくても正常を維持できるようになっているかもしれません。
同じ「正常」でも意味が違うのです。
だからこそ症状だけでなく、身体機能、血液データ、生活状況、東洋医学的所見などを経時的に見ながら、「身体が正常を保つために必要としている代償が減ったか」を評価する必要があります。
「治未病」を現代の臨床へ
『黄帝内経』が説いた「治未病」。
これを単に「病気を予防しましょう」という意味だけで捉えるのではなく、病気として顕在化する前に、身体が発している代償のサインを読み、その代償が破綻する前に介入することと現代的に読み直してみる。
そうすると、東洋医学の「未病」と分子栄養学による代謝評価が、ひとつの臨床的な視点としてつながってきます。
未病を治すとは、まだ病名がついていない人に栄養素を補うことではありません。
身体が何に負荷を受け、何を使って正常を維持し、そしてどこから破綻しようとしているのか。
それをできるだけ早く読み取って介入する。
それこそが、現代における「治未病」のひとつのあり方なのではないかと考えています。
もう一歩、患者さんの力になりたい方のために
今回書いた「未病をどう見つけ、どう支えるか」という考え方を、実際の臨床で使える形にしていくために、現在、看護師・理学療法士などの医療従事者を対象とした「中医統合ケアアカデミー」を計画しています。
目指しているのは、単に東洋医学を学ぶ講座でも、施術手技だけを学ぶ講座でもありません。
東洋医学的な見立てで患者さんの状態を捉える。
かっさを使って身体にアプローチする。
分子栄養学の視点から食事や栄養について伝える。
この3つを組み合わせることで、患者さんの「まだ病気とは言えないけれど、何かがおかしい」という段階から関われる医療従事者を増やしたいと考えています。
いま持っている資格や経験を活かして、患者さんにもう一歩できることを増やしたい。
そんな方にぜひ知っていただきたい講座です。
詳細が決まりましたら、改めてお知らせします。

